彼は外国の映画、文学、ジャズに精通して、カルチャーやファッションにも独自のセンスで雑誌や新聞に紹介し植草甚一スタイルという言葉も生まれた。
1977年に学術・文化部門でベストドレッサー賞を受賞している。
私は植草氏が亡くなってから、図書館で『スクラップブック』シリーズを借りて偶然知り、彼の考え方や物の見方に興味を持った。
世田谷文学館の開館20周年記念で、植草甚一の展示会が開催されているので行って来た。
世田谷文学館エントランス |
植草甚一 「スクラップブック」が売られている |
彼の残した膨大な資料と、スクラップブックやメモを生で見ることができ改めて知識と興味の広さをに驚嘆した。
本に埋もれた彼の写真や、収集していたものの膨大で雑多な様子を見ると『断・捨・離』の時代にはごみ屋敷のように映るかもしれない。
しかし、本に埋もれた彼はシアワセそうだし、ひとつひとつに思い入れを感じる。
ニューヨークに行く前からニューヨークに詳しかったと言われた彼は、66歳にして初めて念願のニューヨークに渡り2か月余り滞在した。
渡航前に自分で写真を撮るためにカメラも習った。
彼がその時撮った写真も展示されている。
毎日古本屋に通っても飽きることがなく楽しくてしょうがなかったと書いている。
持って帰った本はなんと1,000冊だったそうだ。
ニューヨークはとてもお気に召したらしく、その後も3回訪れている。
老いるほどにますます好奇心が盛んになったように思える。
晩年は、入院生活をしながら自身の蔵書4万冊で下北沢に古書店「三歩屋」を開くことを夢いていたが実現することがなかった。
その幻の「三歩屋」が世田谷文学館に再現されていたのには感激した。
蔵書4万冊は没後散逸したが、4000枚近いのジャズレコードはタモリさんに引き取られたらしい。
植草甚一のコレクションがそのまま残っているとしたらすごく価値のあることだ。
植草甚一が夢見ていた古書店「三歩屋」を再現 ここだけ撮影が許されていた |
彼は映画の評論を書く時はディテールを大事にしていた。
「一部分だけ覚えてそれを物語と結びつけて自己主張するのは嫌いだ」と言っている。
展示会では映画の試写会メモが展示されている。
そのメモの一部〈広場のロング/尼さん3人/その向こうに車に乗りこむ/うえの窓からアンナとよぶSandoro〉
実に細かく映画のメモを残しているのには驚いた。
ユリイカ 1978年11月号で鍵屋幸信氏が「植草甚一氏に対する99の質問」をしている中で、生涯の映画ベストテンをきいている。
「愚かなる妻」 エリッヒ・フォン
「蠢惑の街」 カール・グルーネ
「吸血鬼」 カール・ドライエル
「三十九夜」 ヒッチコック
「大いなる幻影」 ジャン・ノワール
「自由を我等に」 ルネ・クレマン
「歴史は女でつくられる」 マックス・オフュルス
「戦火のかなた」 ロッセリーニ
「地下鉄のザジ」 ルイ・マル
「カサノヴァ」 フェリーニ
「地下鉄のザジ」を入れるあたり前衛的な趣味が感じられる。