2015年8月11日火曜日

フリーダ・カーロがつないだもの

イメージ・フォーラムの壁に貼られた「フリーダ・カーロの遺品」ポスター 
日曜日に久しぶりに渋谷に行った。
目的はかねてから楽しみにしていた映画『フリーダ・カーロの遺品ー石内都、織るように』を観るためだ。

劇場は渋谷駅から246を青山方面に歩いたところにあるシアター・イメージフォーラムだ。

ここを訪れるのは二度目で、前回は観たのは『ハーブ&ドロシー』という郵便局員のハーブと図書館司書のドロシーの慎ましい生活を送りながら、共通の趣味である現代アートのコレクションをする夫婦のドキュメンタリーだ。

1LDKのアパートに入るサイズで、自分たちの給料で買える作品を基準に集められたふたりのコレクションはアート史に残る名作ばかりとなる。

お金のためだけでない、ただアートを愛する夫婦愛に満ちたふたりの豊かな人生は今も心に強く残る。

売れば莫大な価値のあるコレクションをふたりは全米の美術館に寄贈し、アート界でも有名人であるにもかかわらず、自分たちは新婚当時から住んでいるアパートで暮らしている。
本当の幸せとか人生の豊かさについて教えてくれた作品だった。


イメージフォーラム概観
今回の『フリーダ・カーロの遺品ー石内都、織るように』は運命的なつながりによって作られた映画である。

死後50年を経て封印をとかれたフリーダ・カーロの遺品をメキシコ人のキュレーターの発案で撮影するプロジェクトが立ち上がり、日本人の写真家・石内都さんを見つける。

それまでにフリーダ・カーロ財団が依頼し別の写真家も撮影していたが、思うようなものでなく石内都さんに依頼がきた経緯がある。

石内さんは写真集「Mather's」や「ひろしま」でも遺品を撮影している。


そして、この映画の監督・小谷忠典さんは舞台挨拶で、学生時代から映画を作っていて一番影響を受けたのが写真家の石内都さんで、いつか石内都さんを撮りたいという思いからある時思い切って電話をかけたというエピソードを話された。

その時、石内都さんはフリーダ・カーロ遺品撮影のプロジェクトのためにメキシコへ行く2週間前だった。

小谷監督は2週間でスタッフと渡航費をかきあつめ、石内都さんの撮影に3週間立ち会うことになりこの映画ができた。

映画のパンフレット 小谷監督のサイン
左右の高さが違うフリーダの靴の写真

映画の中に出てくる、フリーダが身に着けていたテワナドレスは、フリーダのアイデンティティを表現する衣装であるとか、愛しあい苦しめられた夫ディエゴ・リベラが好んでいたからだとかいろいろ解釈があるようだが、私はフリーダが子どものころの小児マヒで左右の足の長さが違うために高さが違う靴や、たくさんの身に着けていた体を支えるためのコルセットを見たとき、ハンデのある体を隠すには、テワナドレスは日本の着物の様に体に合わせやすく、楽な衣服だったからではないかと感じた。

そして、フリーダの作品のように強い色と繊細なタッチの刺繍を施されたテワナドレスは、彼女の美意識にも触れ、美しさと自信を纏うことができたのだろう。

自分で繕ったドレスや、通気性が悪くかゆくなるので実用のためフリーダの手によって穴をあけられたコルセットを見ると、少しでも着心地をよくしようとする彼女の工夫を感じる。

映画「フリーダ」で愛と情熱のドラマチックな人生のフリーダ・カーロのイメージが強かったが、手術を繰り返した体を支えるためのコルセットやおびただしいモルヒネや精神安定剤などの薬品を見たときに、叫ぶような生々しいフリーダの体と心の痛みを感じた。

壮絶な人生を送ったフリーダがこれまで「私は決して夢は描かなかった。私は自分自身のリアリティを描いた。」というように苦しみを表現してきたが、人生最後の作品は「Viva la Vida 人生万歳」という作品だったことに救いを感じる。

映画の中で小谷監督はフリーダのアイデンティティの源であるメキシコのカルチャーについても掘り下げ、フリーダの死生観に触れようとした。

メキシコのお盆の「死者の日」の死者を明るく受け止める文化を見て、死がフリーダにとって苦痛から開放され、喜びに満ちたものであることを願い、ひとりの写真家とそれを見つめた監督により再生されたフリーダの生き方そのものが教えてくれる人生の意味が私の心に深く届きつながったような気がした。


イメージ・フォーラム 正面